自由きままに芸術鑑賞

自由気ままに芸術鑑賞

~舞台人による、舞台人のための鑑賞記録~

『フジコ・ヘミング&キエフ国立フィルハーモニー交響楽団』

「一度聴けばもう十分」と思うか、「虜になって何度も足を運ぶか」…フジコ・ヘミングの演奏はこの2つに1つの様に思う。

 

当然、大多数の観客が後者なのだろうが、もう一度思い出して欲しい。初めて彼女の演奏を耳にした時、音が胸の奥を洗い、温かく包みこみ、痛みを和らげた時、涙があふれてもう十分と思いはしなかっただろうか。

私はそうだった。彼女の指先を持ってして奏でられる音楽が、あまりにも痛みを癒すので、何かを見透かされた様なそんな気持ちになったのである。そしてこう思ったのだ、「もう十分癒されたからと。」

ラ・カンパネラ

「ラ・カンパネラ」、それは指さばきが難しく速い曲。ピアニストはその技術を見せつける様に弾き、その高い技術を称賛するのがこの音楽の観賞し方だと思っていた。

なのに、フジコ・ヘミングの場合はどうだろう。まるで指一本一本が独立した生き物であるかのように、呼吸しながら鍵盤を駆け巡っていた。

右手と左手が掛け合うように会話をし、1つの音にもう一方の音が応えている。楽しそうに笑ったり、感傷的になったり、その情景は小節ごとに変わっていく。

彼女の演奏を聴き終わるまでのさほど長くない時間の中で、一度たりとも「指さばき」とか「スピード」とか「技術」という言葉は浮かばなかった。

いや、それ以外に思い浮かんだ言葉もない。ただ最初の1音を聴いただけで心と耳を奪われた。そして聞き終わった後気付いたら涙が頬をつたい、やっと口にでた言葉は「…びっくりした」だった。

ピアノの音がここまで美しく、人に影響出来るものとは思わなかった。そういう意味で「びっくりした」のだと思う。 フジコ・ヘミングのあらゆる束縛から解放された音楽はとても情緒的で、音のひとつひとつが観客一人ひとりに語りかけているようだった。

時に問いかけ、時に諭しながら、身体に優しくそれでもストレートに入ってくる音色である。

ピアノという楽器と、観客の間にあるものが演奏者なのであれば、その演奏者というのは楽器でありながら人間でなければならないということを、彼女を前に改めて体感させられた。

人でなければ音楽の解釈は出来ず、しかしその人も楽器と一体にならなければ決してその演奏者自身の音楽は奏でられない。

演奏者の演奏が心に響くのは、その人の経験を音楽として奏でることが出来るからで、観客がその音に自分の経験を重ねるからだ。

決してピアノ単体で成し得ることではないし、演奏者の経験や技術、感受性におよるものだ。そんな当たり前のことを、改めて実感したのである。とにかく美しい音色だった。

本当に「音」に「色」がある様に、音楽とは「音」を「楽」しむものなのだと思い直した。また、大きなホールで、あんな小さな音を響き渡らせることができるとは、感心するばかりだ。

音を聴く毎に毒素が抜かれ、肩肘を張った自分から解きほぐされた。星が瞬くような高音、そして大地を支える様な低音。音楽が音を楽しむものであり、音が楽しんでいるものでもある、そういった不思議な感動に見舞われたのだった。

ピアノ協奏曲第1番
ピアノが木で出来ている事を改めて思い出させるような木の温もりと、風の囁き、星の瞬きの音を感じられた。音が小節毎に色を変え表情を変える。

ピアノ一台でこんなに幅広い表現が出来るとは…今更ながらピアノのレッスンを途中で辞めたことを後悔している。


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詳細

主催/
主管/
後援/
協力/
会場/オリンパスホール八王子
開場/13:30
開演/14:00
鑑賞日/2015年12月20日(日)
席種/

プログラム

『フツル・トリプティーク』
作曲/スコリャーク

『ピアノ協奏曲第1番』
作曲/ショパン

『ラ・カンパネラ』
作曲/リスト

交響曲第9番「新世界より」』
作曲/ドヴォルザーク

出演者

指揮/ ニコライ・ジャジューラ
ピアノ/ イングリッドフジコ・ヘミング
キエフ国立フィルハーモニー交響楽団

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