自由きままに芸術鑑賞

自由気ままに芸術鑑賞

~舞台人による、舞台人のための鑑賞記録~

『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

久しぶりに広げた真っ赤なパンフレットを繰るごとに、身体の髄からぞわぞわと鳥肌が立ち始めた。 本を持つ手はわなわなと震え、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

それは私が感動とか感激といったありふれた感情を覚えたからではない。ピナによって植え付けられた強烈なまでの衝動が、私の中で鮮明に蘇ったからだ。

ピナ・バウシュが私の中で再び息づく感覚。 これが、彼女が観た者に与える「ダンスの威力」なのである。

 

ピナの『春の祭典』と『カフェ・ミュラー』が観たい、そして彼女がどういう人間だったのかを知りたくて、映画館へ足を運んだのがこの作品を観たきっかけだ。

どういう経緯でこの映画を知り得たのか、今はもう思い出せないが、これもピナの誘いではないかと今では思う。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』にひと聴き惚れをしたのは私が学生の頃。こんなバレエ音楽がクラシックにあっていいのかと困惑しながらも打ちのめされ、ストラヴィンスキーの世界にのめり込んだ。

初演時はニジンスキーが、現代ではモーリス・ベジャールが振り付けている作品。 そのいずれの振付もある程度は知っていたのに、ピナの『春の祭典』だけは全く知らなかった。

もちろん、ピナの存在も知らなかったので、授業で、ピナ・バウシュの『春の祭典』と『カフェ・ミュラー』が紹介されると聞いた時も、「面白い名前の人だな」くらいにしか思わず、音楽を聴きたい欲望の方が勝っていた。『春の祭典』に振付をするくらいだから、ただものではないだろうと思ってはいたものの、そこまで興味を示していなかったのが正直なところだった。

先入観は簡単に裏切られた。

2作品の映像が終わり、しばらくは茫然とするしかなかった。目も口も開ききったまま、呼吸をも忘れる作品。徐々に意識が現実に戻され、ぐったりしている自分に気付いた時、私は「ピナ・バウシュ」という名前を頭に刻んだのだった。言葉などいらない、言葉が奪われてしまう程の舞台をこの目で見てしまったのだ。

私は恐れおののきながらも、一瞬にしてこの作品、この人の虜になった。

それから大学を卒業して間もない頃。つまり、作品の記憶が鮮明な頃、この映画『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』は上映された。

ピナが亡くなって暫くしてからのことである。3D上演だったため、その技術によってまるで、ヴッパタールの劇場にいるかのような感覚に陥ることができた。ヴッパタール舞踊団の公演を一度も生で観たことがない私にとっても、生で観ているのとほぼ同じ感覚で観賞できた貴重な映画だ。

春の祭典』と『カフェ・ミュラー』はもちろん、残された団員で創作された作品の数々も収録されている。とても明るい表情で列を成すダンサーの行進から始まる本作は、大きな喪失を背負いながらも、まるで天に召したピナを最高の形で送るような、そんな様を表現しているように思う。 間違いなく「ピナという人」をこの目で見、彼女がまだ私の中に息づいていると確信できた1作である。

たった104分。人間のあらゆる衝動が凝縮され、観る者が狼狽える映画は今までにあっただろうか。 実に歓喜に満ち溢れ、切なさに溺れる作品の数々である。

この映画は、コンテンポラリー・ダンスの真骨頂、人間の極み、そしてピナ・バウシュ本人である。

dance, dance, otherwise we are lost. ―(パンフレット『pina』より)
それは、ただの舞台ではない。五感を揺さぶり、肉体を刺激し、心を裸にする体験だ。―(パンフレット『pina』より)
私に興味があるのは、人がどう動くかではなく、何が人を動かすのかということ。―ピナ・バウシュ(ダンサー、舞踏家) (パンフレット『pina』より)
ピナが亡くなったなんて信じられない。深い悲しみはとても乗り越えられるものではないし、克服するにはもっと時間が必要。でも、彼女は作品の中に生きている。撮影はすべてピナのためだと思うことで救われる。ピナは映画化を強く望んでいたから。 -マリオン・スィートー/ダンサー (パンフレット『pina』より)
ピナは、その作品の中に今も生きている。ピナ・バウシュに会うために、劇場に、そして映画館に、私はまた足を運ぶだろう。 -楠田枝里子/司会者、エッセイスト(パンフレット『pina』より)
ピナが教えてくれたことは、一番大事なものは、体の奥にある「心や魂」だということですね。 -市田京美/ダンサー(パンフレット『pina』より)映画が完成して、今言えることは、
今までピナの舞台を観たことのない人でも、これだけは、この映画だけは観ておきなさいということだ。こういうアーティストが存在して、つい最近まで、色々な形で表現し続けた。この映画を通じて、それだけは観ておけと言いたいね。 ―山本耀司/ファッションデザイナー(パンフレット『pina』より)
彼女の業績は、ダンスや演劇、オペラ、美術などを超えた新たな舞台芸術(タンツテアター)を生み、人間としてのダンサーに観客が出会う手法を確率した点にある。 ―貫成人/哲学者、舞踊批評家(パンフレット『pina』より)
ピナの作品のすごさは、言葉による説明を一切要さず、波動だけですべてを伝えきってしまうことだと思います。―三宅純/作曲家(パンフレット『pina』より)
この映画を観て思ったのは、「なんか、ズルい」です。要するにピナ・バウシュって、革命家で過激派なんですよね。火炎瓶を投げる代わりに、こういう手法をとったんだな、なんて思いました。―YOU/タレント(パンフレット『pina』より)

 

撮影方法

通常はステージ正面に数台のカメラを据えるが、この映画では伸縮自在のクレーンの上に大型スタジオカメラを装着している。つまり、カメラがダンサー達の間にあり、カメラマンがまるでダンサーと一緒に踊っているような形をとった。この形をとる上で、ダンサーの邪魔にならないよう、過去のプログラムの映像を徹底的に研究し、本番でどこにカメラが設置されるべきかが綿密に打ち合わされた。 2009年10月、『春の祭典』、『カフェ・ミュラー』、『フルムーン』の3作がヴッパタールのオペラハウスに観客を入れたライブとしてノーカット収録された。 尚、技術の発展が早く、2010年4月に行われた『コンタクトホーフ』の撮影時には小型軽量カメラを利用し、ダンサーは空間の全てを使って踊る事が可能となった。

詳細

原題/PINA
上映時間/104分
公開日/2012年 日本公開作品
字幕翻訳/吉川美奈子
賞/第84回アカデミー賞 長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート
公式HP:『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

ピナ・バウシュが映画のために選んだ4作品

『春の祭典』
初演/1975年12月3日
演出・振付/ピナ・バウシュ
美術・衣装/ロルフ・ボルツィク
音楽/イーゴリ・ストラヴィンスキー

『カフェ・ミュラー』
初演/1978年5月20日
演出・振付/ピナ・バウシュ
美術・衣装/ロルフ・ボルツィク
音楽/ヘンリー・パーセル

『コンタクトホーフ』
初演/1978年12月9日
演出・振付/ピナ・バウシュ
美術・衣装/ロルフ・ボルツィク
音楽/チャーリー・チャップリン、アントン・セウス、ファン・ロサス、
  ニーノ・ロータ、ジャン・シベリウス 他

『フルムーン』
初演/2006年5月11日
演出・振付/ピナ・バウシュ
美術・衣装/ペーター・スィートー
音楽/アモン・トビン、バラネスク・カルテット、キャット・パワー
  カール・フレイグ、三宅純 他

キャスト

ピナ・バウシュ
ヴッパタール舞踊団のダンサーたち

スタッフ

監督・脚本・製作/ヴィム・ヴェンダース
振付/ピナ・バウシュ
プロデューサー/ジャン=ピエロ・リンゲル
アート・ディレクター/ペーター・パプスト
芸術コンサルタント/ドミニク・メルシー、ロベルト・シュトゥルム
衣装/マリオン・スィートー
舞台・衣装デザイナー/ロルフ・ボルツィク
ステレオグラファー/アラン・デローブ
撮影/エレーヌ・ルヴァール
3Dスーパーバイザー/フランソワ・ガルニエ
3Dプロデューサー/エルウィン・M・シュミット
編集/トニ・フロッシュハマー
音楽/トム・ハンレイシュ、三宅純 他

パンフレット

2012年2月25日発行
発行承認/ギャガ株式会社
編集・発行/松竹株式会社 事業部
編集/奥野多絵(松竹)
テキスト協力/山元明
デザイン/大島依提亜
印刷/アベイズム株式会社
定価/1,600円(税込)

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