自由きままに芸術鑑賞

自由気ままに芸術鑑賞

~舞台人による、舞台人のための鑑賞記録~

『カフェ・ミュラー』-ピナ・バウシュ

コンテンポラリー・ダンスとは、時にとてもシンプルで、シンプルすぎるが故に、内面が浮き彫りにされることがある。

この作品もその類と言っていい。ピナの作品の中でも際立って、儚く、切ない作品だ。

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踊りというよりは、何かとてつもなく前衛的な美術作品を観ているような気分にもなる。ただ、ひたすらに、守る。これが『カフェ・ミュラー』という作品である。

椅子が敷き詰められた舞台を目にすることから、この作品は始まる。カフェと題するには椅子の多すぎる舞台。踊るには明らかに狭いスペースで、一体これから何を見せられるんだろうと、誰しもがきっと神経を集中させられるだろう。

舞台袖から目を閉じた女性がゆっくりと儚げに、一定のペースで舞台上を縦横無尽に歩き始める。数々の椅子が彼女を阻みぶつかりそになるが、その寸でのところで男性が駆け寄り椅子を押しのけていく。

ただ一途に、ただ一心不乱に…

「それだけ?」と思うかもしれない。私も初めはそうだった。しかし、女性の醸す「静」、男性の醸す「動」があまりにも両極にありすぎて、時間が経つごとに引き込まれてしまった。

スーっと歩く女性を前に、ガタガタンと激しく押し倒される椅子の音に、必死さ、一途さ、そして切なさのようなものを感じてしまう。息をひそめ、息を殺し、呼吸する余地のない世界を見せつけられ、守るということのまっすぐさを提示され、やるせなくなった。

すべてが張り詰めている時間だった。そしてどんな言葉もこの作品に似つかわしくないような世界観。

冷めきった現代に、人間の温情を思い起こさせる1作である。

『カフェ・ミュラー』をミュンヘンで観た時には、パフォーマンスの間中、溢れる涙を止めることができなかった。私の心の奥底に沈殿していたすべての感情が吸い上げられ、外にほとばしり出た。生まれて初めて味わう解放感だった。
楠田枝里子(司会、エッセイスト)
すごくキレイだけど、すごくエグイ、まずはそう感じました。
―YOU
(タレント)